田舎の朝は美しい。長尾智子さんのサラダと、九州南部の郷土料理、鶏刺し。丁寧な野菜がおいしい、cozyなカレー屋さん。
田舎の朝は美しい。
土曜の朝です。
朝食のために、グリーンリーフ類と、最後に残ったちっちゃなハツカ大根を取りに、軒下のコンテナへ。
春を迎え、少しずつですが、グリーンリーフの葉が大きくなってきました。
植物たちにやわらかい朝陽が降り注いで、鳥の声があちこちからこだまし、おおらかで広い空に、洗われるような空気。
田舎に引っ越してきて、ことのほか、朝が美しい、と思います。
今日は、夫の足の怪我が治り、久しぶりに2人で湧き水を汲みに出かけました。
最近よく行くのは、今住んでいる集落から車で20分ほどのさらに外れの集落にある水汲み場です。
川をさかのぼるように進むと、道路脇の川は、いつしか澄んだ沢に。
沢の脇には桜が植えられていて、満開を越えた今日は、通る私たちの車に、はらはらと花びらを散らしています。
今日も、惜しげもなく湧き出る水を40L、一週間分の我が家の命水として、頂きました。
命をはぐくむ水が、自然からこんなに豊富に与えられていることに、いつもはっとします。
そこから離れた暮らしをしてしまうと、あたかも、自然はいつも厳しくて、力をもって制して、そこから何とか引き出さないと、人間は生きられない、もしくは生きることを許されていない存在のような、それが当然の常識のような気がしてしまいます。
でも、違うのです。
湧き水は、こんなにも惜しげもなく、毎日毎日、私の命を育む以上の量、ここに湧きだしています。
それを感じるたびに、私の中で、自然との向き合い方が、ガラっと音をたてて変わります。
私たちは、誰か特定の人間に対してもそうですが、自然に対しても、罪悪感を持っていたり自分の存在や生きることを認められていないように感じていると、心の底からの感謝ってなかなかできないものです。
一生懸命「感謝しなきゃ!」と努力はするのですが。
でも、気付けば惜しげもなくそこに与えられている目の前の湧き水に触れたその瞬間、あぁ私は自然に無条件で受け入れられているんだ、与えられているんだ、気付いていないだけだったんだ、ということに、気付くのです。
すると、一生懸命、頭で考えて引っ張り出そうとしなくても、勝手に感謝の気持ちがわいてきます。
自然のサイクルの一部である、自分の命を感じることができるようになります。
この水汲み場は、何度足を運んでも、そのことを無言で教えてくれる、すばらしい場所なのです。
水汲み場からの帰り道、沢を渡す細い橋の向こう、道路からは見えない林の奥の、こんもりとした丘の上にある、小さな祠にお参りに寄りました。
私の運転では行けないような、行きすりのできない林道の奥にあるので、夫と一緒の時しか行けないのです。
林道の脇には、大きなシダの若葉がはっとするほど鮮やかで、下の方には太いつわぶきがしなやかに揺れています。
食べられるツワブキは、今年の新芽だけ、つまり葉が鮮やかな新芽の色で、茎が紫色で産毛が生えているものだけです。
脇のつわぶきを指さしながら、「これおいしいはず!これはもう去年のだ」と言っていると、なんでそんな事を街育ちの私が知っているのかと夫に聞かれました。
それで、思い出しました。
私は、土の空き地や山が身近にほとんどないような街で育ちましたが、育った祖父母の家の土間には、春になると、知り合いから、新聞紙に包まれた、つわぶきの大きな束が届きました。
亡くなった祖父がそれを毎回、手を真っ黒にしながら日長一日剥いているのを、小さい頃から隣に座って見ていたのです。
祖父は器用につわぶきの首のところをポキっと折って、スーっと皮をむき、バケツにポチョンと投げ込み、透明な緑色のアクが、油膜のように水面に広がっていました。
それを一晩水につけてアク抜きをし、翌日、鶏肉とおいしく煮てくれたのが、亡くなった祖母。
独特の山菜の香りがして、骨付きの鶏肉とよく合う、大好きな煮ものでした。
こちらに引っ越してきて、つわぶきが生えているような山道はたくさんあるのですが、自分の山でも地域の者でもないのになかなか取りに入る、というのは雰囲気的に難しく、いつか誰かに案内してもらえたらいいな、と、そのご縁を楽しみに待っています。
カメラを忘れて行ったので写真がありませんが、今日も小さな祠は、ごうごうと流れる沢の水音を背に、静かにそこに在りました。
大みそかにお参りしたときの、小さな祠の写真は、こちらから(↓)
お参りをすませて丘を下りると、うぐいすの声。
それも、一羽ではなく、あちらから、こちらから、まるで贅沢なサラウンド音響です。
祠の丘の脇の道の奥は、ぱあっと空が開けていて、広い田畑になっています。
山と沢と林に囲まれていて、そこからは先ほど走ってきた大きな道路はまったく見えず、いつでも流れている沢の水音で、車の音も聞こえません。
ただ、後ろから前から遠くから近くから何層にもなって聞こえるウグイスの声と、田んぼのカエルの呑気な鳴き声、ときおり虫の声。
見渡す田畑とあぜ道のスミレ、タンポポ、あとはぽっかり開けた空。たったそれだけ。
いつの時代にいるのか分からなくなる、まるで、秘境です。
こんな場所で、毎日畑仕事をして生活している人が、居るのです。
そんな事を言ったら失礼に聞こえるかもしれませんが、街の中で生活するのが当たり前として育った私が、住んでいる家から10分そこらに、嘘みたいな秘境がひっそり存在していて、この中で生活している人がいることには、心底びっくりするし、当たり前の価値観が揺るがされます。
田舎の朝は、美しい。ほんとうに、そう思います。
その中に今生かされていることに、感謝していることを、祠で手を合わせ、お祈りして伝えてきました。
長尾智子さんのサラダと、九州南部の郷土料理、鶏刺し。
週末を迎える前の金曜の夜は、こちらの地方の伝統的な食材、鶏刺しを頂きました。
鶏刺しについては、こちらから(↓)
芋焼酎の、お湯割りと。
青ジソがなんだか大量に入っていて安かったので、こんもりと!新たまねぎと一緒に盛りつけ。
しょうがとにんにくをすりおろし、近所のお醤油屋さんで作っている、甘い刺身醤油で、頂きました。
白い身のやわらかさもたまらないし、赤い身の歯ごたえと濃厚なうまみも、たまりません。
ご飯が進んじゃいます。
そして、長尾智子さんの『長尾智子の料理1, 2, 3』を読み返したときに載っていた、
オリーブオイルを使った、茹でたじゃがいものサラダを、実際に作ってみました。
じゃがいもと茹で卵を一緒に片手なべで茹でてしまえば、あとは和えたり乗せたりするだけでさっとできてとても簡単!
見た目が色とりどりで、とてもきれいで、普段使うお野菜しか使っていないのに、食卓が華やかになります。
おいしい塩とオリーブオイルの香り、ツナの旨みとハーブの風味がマッチして、野菜自体のおいしさが分かる、とてもおいしいサラダでした!
レシピはこちらから(↓)
お野菜って、おいしいなぁ♪と思っていたその翌日の土曜、今度は、野菜がおいしい、ステキなカレー屋さんと、出会いました。
丁寧な野菜がおいしい、cozyなカレー屋さん。
土曜はお天気が良かったので、近所の桜を見た後、夫のジムニーのオイル交換と点検のために、また、街中の整備士さんのところへ、ドライブがてら2人で出かけました。
整備士さんの話は、こちらから(↓)
そして、夫も私も情報だけ聞いてずっと気になっていた、住宅街の中にあって、同世代ぐらい?のカップルが、店から何から手作りでやっているという、小さなカレー屋さんへ、行ってみました。
住宅地をぐんぐん抜けて、筋に入り、途中心配になるほど家すらなくなったその先に、突然かわいいお店が出現。
方向音痴な私はひとりではたどり着けない場所にあります。
手作りの看板や、色とりどりのタイルで飾った壁面、変わった多肉植物や、古くて個性的なベンチなど、とてもいい感じ!
店の向かいには古い桜の木があり、店の前にはなんだか個性的なお花が植えられていて、春のコラボ。
春休み中、土曜のお昼どきということで、4台ある駐車場は私たちでもういっぱいになり、小さな店の中は家族連れや若いカップルで、満席。
席が空くまで写真をとったりしながら外で待って、カウンターに案内され、お水を出されて、オーダーして、結構な時間がたってからやっと、私たちのまだ前のお客さんのカレーが運ばれていきます。
音楽がまたちょっとユルくて浮遊感のあるロック。
深いけど明るい木の色に、自由なガーランドが揺れて、なんとも居心地がいいお店!
長い時間待ったけど、夫は音楽に揺られながら運転疲れをうとうとして癒し、私は目の前にあったステキな本に夢中。
あっという間の様な、えらく長くゆっくりしたような、なんともcozyで、待たされた感の全くない不思議な時間でした。
オーダーしたのは、チキンカレーに、野菜たっぷりのトッピング。
運ばれて来た時、わぁ♪と思わず声が出ました。
カワイイ!
そして、美しい!
スライスしたカボチャ、インゲン、薄切りのゴボウ、こぶりのじゃがいもゴロっと1/4、赤い小さなカブ、インゲン、ニンジン、エリンギ、ししとう、ナス。
どれも、絶妙な下ごしらえで、絶妙な大きさや厚さで素揚げされて、サフランライスとやわらかい鶏肉にかけられた特製のカレールーの上に、丁寧に盛りつけられています。
そのお野菜一つ一つを味わうと、その丁寧でおいしさを感じるためのベストな具合に扱われたお野菜たちの姿や味に感動し、そのたびに、心が満たされていくのです。
お店のしつらえや、店主さんカップルの感じのよさ、長く待たせても、cozyな空間で、妥協せずに丁寧なカレーを出してくれるその姿勢、全部が出ているカレーでした。
やっぱり、おなかがただパンパンになるのと、心までしっかり満たしてくれるものは、まったく違うんですね。
店主さんたちが本当に大事にしているものが分かり、幸せを感じるカレーでした!
待ち時間と最後のお茶の間に、私が夢中になって読んだのは、この本です。
つばた英子さんの、『あしたも、こはるびより。: 83歳と86歳の菜園生活。はる。なつ。あき。ふゆ。』
あしたも、こはるびより。: 83歳と86歳の菜園生活。はる。なつ。あき。ふゆ。
- 作者: つばた英子,つばたしゅういち
- 出版社/メーカー: 主婦と生活社
- 発売日: 2011/10/28
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ヨットが趣味の、建築家を引退した、当時86歳の旦那さまと、現金なんて持ったことなかった商家の娘さんだった83歳の奥様の、「キッチンガーデン」という名前の広い畑を持った、一年の暮らしの本です。
手作りの家で、畑仕事をして、その野菜で料理をしたり、梅干しを漬けたりするのですが、何がおもしろいって、お2人の個性です。
とにかく几帳面で、なんでもファイリングし、番号をつけてきちっと管理することに喜びや美しさを見出す旦那さまと、大雑把でどんどんやってしまう奥様。
そのかけあいや、お互いを理解し合い、尊重し合って、日々の暮らしを作っている、その姿がとてもユニークで、ほほえましくて、愛しいのです。
カレーを待つゆっくりした時間の中で、一冊のステキな本に出会えて、しかもその場で読み切ることができて、私はもう完全にお得気分でした。
ランチタイム最後の客だった私たちが、最後のお茶を飲みながら本の残りを読んでいると、店主さんの女性の方が声をかけてきました。
「そのおじいさんおばあさん、めっちゃいいですよね~!」
彼女が大好きな本を、お店にディスプレイしていたのですね。
この本のご夫婦と一緒で、私も「計らない」タイプで夫の方が几帳面、ええ!私もですよ!と盛り上がり。
私には、丁寧に野菜を扱い、心をこめてカレーを作るお二人の、何十年か後の姿でもあるように見えました。
もう一冊、こちらの本もぜひ読んでみたいと思いました。
NHKでも番組になったそうです。www.kyounoryouri.jp
残念ながら、旦那さまの方の津端修一さんは、去年お亡くなりになったそうです。
一人きりになった英子さん、気がかりです。
お元気でいられることと、そのおいしそうな手料理を今でもふるまわれていることを祈ります。
すてきな人生の過ごし方をイメージしながら、私も、夫と生きていきたいと思いました。