kurashito~暮らしと

暮らしが幸せになるためのことを、日々追究しています。

春タケノコで、チンジャオロース。たけのことつわぶき、骨付き鶏の煮もの。ズッキーニは、風通しが大事!はつか大根ミックス、発芽! 本当にあたたかく美しい、毛皮(リアルファー)。

リビングの花

春タケノコで、チンジャオロース。

今朝は、とてもさわやかな朝です!
風がキラキラと吹き抜けて、揺れる洗濯ものが心地よさそう。
物産館で売っていた、名も知らぬ花。
とても自然で、その辺に生えていそうですが、赤毛のアンなんかにでてきそうな雰囲気。
部屋の中で自然な曲線を描いて、春を感じさせてくれています。

 

先日、米ぬかで皮から下茹でした、タケノコ。

早速その日の夜は、チンジャオロースにしました。

チンジャオロース

やわらかく煮えた繊細なタケノコは、かすかに残るエグみまで含めて、やっぱり水煮の市販品とは全然違います。
シャキシャキのピーマンと良くあって、おいしかったです!

我が家でチンジャオロースを作る時は、牛の細切れに黒酒をまぶして一晩冷蔵庫に入れておき、その後、塩コショウオイスターソースで肉をもんで下味をつけて、片栗粉までまぶしてしまうこともあります。油やたまごなんかをまぶすレシピもあるようですね。

生きている酵素がお肉をやわらかくし、くさみをとり、おいしくする黒酒については、こちらから(↓)

灰持酒 黒酒 雑酒1 200ml

灰持酒 黒酒 雑酒1 200ml

 

みじんぎりにしたニンニク・ショウガをゴマ油で弱火で熱し、香りが出たら、牛肉を加えてほぐし、火が通ったら、ピーマンとタケノコを加え、すぐにオイスターソース、または追加の醤油などで味付けをして、最後に挽きたての胡椒で香りを立てます。

お肉に味が付いていると、後からあまり濃い味付けをしなくても、ピーマンとタケノコは、お肉と一緒においしく食べられます。

いろいろ考えていたら、もうタケノコさん1本目、週末までにすっかり使い切る予定になってしまいました。

 

 

たけのことつわぶき、骨付き鶏の煮もの。

たけのことつわぶき、骨付き鶏の煮もの。

今夜は、たけのこを、つわぶきと骨付き鶏と一緒に煮ものにしました。

今年はもう逃した!と思っていた、つわぶき。
昨日、街からの帰り、ちょっと大きな物産館に寄ったところ、やわらかそうなうぶ毛の生えた、皮つきのつわを発見しました!!!
帰ってからあまり時間もなかったのですが、お風呂のお湯をためる間につわの皮をむき、大鍋に張った水(「みとぎ水」入り)に、一晩浸けておきました。
ゴム手袋がほんのりアクで茶色に染まって、そういえば、つわをむくと、いつも指先が真っ黒だった祖父を思い出します。

 還元力のスゴい「みとぎ水」については、こちらから(↓)

今朝、昆布をつけておいた水に、塩と黒酒と薄口しょうゆでうすめの味をつけて、黒酒+醤油で下味をつけておいた骨付きの鶏肉を、まず、煮ました。
つわは、二回ほど浸けおきの水を替えて、2~3分、気持ちだけさっと下茹でしてから、鶏肉の鍋に加え、つわがやわらかくなってから、最後にタケノコを入れて、味を調えて、ちょっと煮込んでそのまま冷まし、味を染み込ませてみました。

つわは、新しかったのか、思ったよりもアクが少なくて、下茹ではしなくてもいいぐらいだったかもしれません。

亡くなったおばあちゃんが作ってくれた、あの懐かしい、つわの煮ものの独特の香り。
骨付きの鶏肉はダシも出るし、ちょうどたけのこもあって、おいしい春の山の煮ものを作ることができました!

今夜はこれに、頂き物の新じゃがの春キャベツとケイパーと新たまねぎを入れた、ポテトサラダ、そして、春キャベツのお味噌汁です。

ポテトサラダはじめ、新じゃがのレシピは、こちらから(↓)

春の食材に、完全に浮かれています。

残りのタケノコは、タケノコご飯にする分と、週末タイカレーにする分で、もう使い切りそうです。

欲張りなので、来週もう一本チャレンジしようか迷っています。

 

 

ズッキーニは、風通しが大事!

ズッキーニは、風通しが大事!

8日前に植え付けたズッキーニの苗、葉っぱがこんなに巨大化してきました!
とても一週間前に育苗ポットに入っていたとは、思えない。

 植え付け直後の写真は、こちらから(↓)大きくなった!!!

植え付け直後は、まだ根が張っていないので強い直射日光はどうかな、と思って、軒下のやわらかい日が当たる場所に置いていました。
もう一週間たったので、今日から、午前中だけ、燦々とおひさまを浴びてもらう事に。

水やりも先にしておいたのですが、今日の一段と強い日差しのせいもあり、やはりまだ正午を過ぎると、葉がしおれてくるので、午後は元の場所へ。
少しずつ慣らして、できるだけ陽当たりも風通しもいい場所で、すくすく大きくなってもらおうと思います。

下の方の葉が、少しうどんこ病の気があったので、さっそくサクサクと下葉を落としました。
去年は、葉を落とすのもおっかなびっくりで、対処が遅れて病気になったこともあるのですが、ズッキーニの葉の勢いってすごくて、下葉をどんどん落としていかないと、どんどん次の葉が出てきて大きくなるので、葉が密集して蒸れて病気や虫がついてしまうことが分かっているので、今年は迷いがありません。
新陳代謝著しい成長期のズッキーニさんは、ザクザクと散髪してあげるのが、正解のようです。

もう根元にはたくさんのつぼみが。 

ズッキーニのつぼみ

追いかける株の種の発芽も、待ち遠しいです。

去年は、支柱を立てたのも結構後からだったし、葉の白い模様がうどんこ病の白いカビと見分けられなかったり、分からない事だらけの中での栽培でした。
今年は、去年体験したことを活かして、うまくそだてられたらなと思っています。

 

 

はつか大根ミックス、発芽!

それに引続き、はつか大根ミックスのかわいい双葉が、昨日発芽しました。はつか大根ミックスのかわいい双葉

前回、とても発芽率がよかったので、

 前回秋のはつか大根ミックスの発芽は、こちらから(↓)

今回は、種の種類を見分けつつ、数個だけ、直まきをしてみました。 
一緒に植えるバジルの発芽がそろそろじゃないかと、そわそわします。

 

こちらは、イタリアンパセリルッコラの鉢です。
わらわらと芽を出すルッコラが、カワイイ!!!

、イタリアンパセリとルッコラの芽

植えかえたばかりのイタリアンパセリの元気が出てくるのも、毎日待っているところです。

 

 

本当にあたたかく美しい、毛皮(リアルファー)。

こんなにイヤミなくすがすがしく美しい、毛皮と女性の写真、ないと思います! 

www.1101.com

愛用しているほぼ日手帳の、ちょっとだけ先の「今日のひとこと」から見つけた、山口未花子さんの話。

私が愛用している、ほぼ日手帳の大きめサイズ、「カズン」の話は、こちらから(↓)

カナダの先住民族の、「森のスーパーマン」である長老の元で、狩猟やその暮らしを学んだという、女性の文化人類学者の話です。

700キロあるヘラジカを狩って、ナイフ一本で解体して、毛皮をなめして、なんておよそ想像もつかない、童顔の山口さん。
彼女がほぼ日のインタビューで首に巻いている毛皮は、おそらくその先住民族の村で狩猟し、なめしたものでしょう。
とてもあたたかく、やわらかそう。
何より、彼女の毛皮に対する愛情が、フワフワ感を増しているように見えます。

なんか、いいなぁと思ったんです。
こんなにもすがすがしく美しい、毛皮と女性の写真ってないなぁって。

最近、全世界的に、リアルファーを禁止する動きがあります。

毛皮について | 毛皮・リアルファーを買わないという選択を

なんだか、ひどいらしいのです。
毛皮を採取するためだけに、動物を虐待したり乱獲したり。
なめしの化学薬品の環境汚染や、たずさわる人への害がひどかったり。
大きなブランドは、「うちはリアルファーを使いません!」と宣言することが、ブランドバリューを上げることにつながっています。
まるで、毛皮というものが、悪い者の様な取り扱われ方。

 

でも、違うと思うのです。本当は。
毛皮って、とても美しくてあたたかくてすばらしい。

 

問題は、「毛皮をお金に換えること」じゃないかと、山口さんのインタビューを読んでいて、私は思いました。

彼らは、
野生からの恵みをお金に換えるってことは
絶対にしません。

人に渡すとすれば、贈与か交換です。

でも、すごく気軽にプレゼントするんです。
肉の塊を、段ボール1箱くらい、ポンっと。

 おそらく、彼らのなかでは
ヘラジカの肉を
「自然から一時的に手に入れている」
というような意識があって、
だからこそ、
お金に換えることを忌避するし、
分かちあうという発想にもなるんでしょう。

そうか、そういう考えのもとだったら、
さっきの
「留守宅の干し肉を勝手に食べちゃう」
のも、わかる気がしますね。

北米インディアンの古老に弟子入りして猟師の修行を積んできた人。 - ほぼ日刊イトイ新聞より)

なんという感覚でしょう。
スーパーのパック入りのお肉と真反対のところにある、ヘラジカの干し肉。

皮や毛皮は、服や小物として利用します。
骨も皮なめしの道具にしたり、
煮込んでスープのエキスをとったり。

煮込んだあとのスカスカの骨だって
飼い犬にポイってあげたら
バリバリ噛み砕いて食べちゃいます。

700キロのヘラジカが、
本当に、あとになんにも残らないんです。

動物に対する、
何かしら、カスカの人たちの気持ちが
あらわれているんですかね?

彼らカスカの人たちは
感謝し愛着を持ち、リスペクトしながら
動物を食べているんです。

北米インディアンの古老に弟子入りして猟師の修行を積んできた人。 - ほぼ日刊イトイ新聞より)

彼らは、動物たちが、獲られにきてくれた、と考えるそうです。
だから、一発で、苦しまずにしとめて、無駄にするところなく頂く。
だから、遊び半分で、動物をなかなか仕留められず怪我だけさせたり、せっかく釣られにきてくれた魚を放すキャッチアンドリリースだって、失礼。
その気管や目の玉は、森の魂たちと交流するために、丁寧に扱ってそのまま風にさらしてあげたり、自然に返す。

そんな彼らのなめす毛皮は、当然お金に換えられるはずもなく、これ以上ないリスペクトと自然や生き物全体への愛に満ち、また彼ら自身も疑いなくその中の一部であるという前提で生きているようです。

 

すべてをお金に換えて交換するから、合理性が必要になり、急に自然の中から分断されて、自然の外に人間が立ってしまう。
その視点だけからみると、リアルファーは、NOかもしれない。
でも、本当に本当のリアルリアルファーは、自然の中に人間が内包されていて、頂かないと循環を途切れさせてしまい、たいへん失礼にあたるもの。

それが、山口さんと毛皮の、この写真から感じるものになっているんだな、と気付きました。

 

天然素材である毛皮は、人間の皮膚にも体にもやさしい。
合成繊維であるフェイクファーは、果たして、どうなのでしょう?
自然から分断された人間から見ると、少なくとも動物にはやさしく見える。
でもそれは、必ずしも人間の皮膚や体にやさしくないし、蒸れやすいし、もともとは石油原料であり、燃やすとガスも発生する。
やっぱり、循環の外のものに私には見えます。
循環の外のものは、有限だし、枯渇するし、廃棄物や負荷を生みだします。
もっとも私は、自分の手で動物を狩猟し、余すところなく食し、皮をなめす技術を持っていないのですが。

 

世の中を良くしたり地球上の存在を幸せにするのが、本来の「お金」のはず。
果たして、私は毎日、そうやって「お金」を使っているだろうか?

さらにこれからは「お金に換えない価値」も、「お金」と同等以上に認識して、両方の価値から本当の豊かさを求めていかないと、「お金」だけではかり、「お金」だけにに頼る価値って、なんだかもう枯渇しそうで、だから人々が争うように奪い合い、世界がギスギスしているような気がします。

社会が、これまでのように、「お金」の「数字」の「成長」だけを追い求めると、どんどん人間は苦しくなっていく。
足りない感じがして、奪い合うことになる。

でも、本当は、それだけじゃない。

そのスパイラルの外、でもそこは自然の循環の内側で本来人間がいた一番しっくりくるはずの場所があって、そこは循環しているから、枯渇しない。
だから、足りない感じもしないし、奪い合うことが起こらない。

その場所は、これから新しく作らないといけないユートピアでも何でもなくて、実はもうすでに昔からここに存在しているもので、みんなが見えていないだけのもの。
先住民族の長老にとっては、「お金」以上に当たり前で確実で揺るがないものなのでしょう。

そんな大きな枠組みの事を考えさせてくれる、山口さんと毛皮の写真でした。

 

なかなか読みたいリストに読んだリストが追い付けませんが、ぜひ、読んでみたいです。

 山口未花子さんの、『ヘラジカの贈り物: 北方狩猟民カスカと動物の自然誌』。

ヘラジカの贈り物: 北方狩猟民カスカと動物の自然誌

ヘラジカの贈り物: 北方狩猟民カスカと動物の自然誌